生命の起源に関する一考察(3)

雄博会千住病院 松田 源治


II 宇宙の起原と進化

II-e 分子の形成

 前回において,主として原子の構造および種々の元素の起原について述べた。これらの元素の中で例えばヘリウム(He),ネオン(Ne),アルゴン(Ar),クリプトン(Kr),キセトン(Xe),ラドン(Rn)などの貴ガス元素は一般に他の原子と化合物を作らず,遊離の原子の状態で存在する。その他の元素においても原子の状態で存在していることもあるが,私達の周囲を見渡すと,このように元素が原子の状態で存在していることは寧ろ稀であり,多くの元素は2個以上の原子が結合した分子の状態で存在している。従って分子の形成は生命の起原と密接な関係にある。そこで今回は分子の形成における力あるいは形式について述べることにする。
 分子の中には単に2個の原子から成る二原子分子があるが,また,多くの原子から成る多原子分子もある。生物体に含まれる蛋自質,核酸,糖質,脂質などの分子は非常に多くの原子より構成されており,高分子化合物とよばれる。多くの物質はこれらの分子の集団から成る。そして,それらの物質に含まれる多くの分子の相互の問の結合は比較的弱いが,それに対して各分子内の原子問結合はより強い。そこで分子内の原子問結合を切断する場合には,より大きいエネルギーを必要とする。
 それでは分子内の各原子はどのような力あるいは形式によって結合しているのであろうか。分子内の原子問結合の形式は基本的にはイオン結合(ionic bond)と共有結合(covalent bond)とに大別される。そして,これらの結合を基本として,種々の型の原子間結合が形成される。さらにこれらの原子間結合の形式はそれらの原子構造と密接に関連している。そこでもう一度原子構造についてごく簡単に振り返ってみることにする。
 前にも述べた如く,原子は原子核と電子より成り,電子は原子核の周りを同転している。その電子軌道は主量子数nによって,内側より,K,L,M,N,0,P殻に分けられる。それらはさらに方位量子数によって,内側より,s,p,d,f亜殻に分けられる。すなわち,K殻は1sに,L殻は2sおよび2pに,M殻は3s,3pおよび3dに,N殻は4s,4p,4dおよび4fに,0殻は5s,5p,5dおよび5fに,P殻は6s,6p,6dおよび6fの如く分けられる。そしてさらにそれらの亜殻は磁気量子数mおよびスピン量子数msによって規定され,s亜殻は2個,p亜殻は6個,d亜殻は10個,f亜殻は14個の電子軌道に分けられる。他方,これらの電子軌道に入る電子の数はパウリ('Wolfgang Pauli)の法則あるいはパウリの排他原理(exclusion principle)に従って,単に1個のみとされている。
 ヘリウム(He),ネオン(Ne),アルゴン(Ar),クリプトン(Kr),キセノン(Xe),ラドン(Rn)などの貴ガスとよばれる原子は前述の如く他の原子と化合物を作らず,一般に原子の状態で存在するという特異的な性質を有する。それはこれらの元素が極めて安定な原子構造を有するからである。すなわち,ヘリウム,ネオン,アルゴン,クリブトン,キセノンおよびラドンはそれぞれ2,10,18,36,54,およぴ86個の電子を有し,電子軌道の殻,または亜殻の中の全ての電子軌道が電子によって完全に充たされ,エネルギー的均衡(energic balance)が完全に保たれているからである。その他の元素の原子においても,その安定度は貴ガス元素には劣るけれども,その基底状態においては,ある種のエネルギー的均衡が保たれているものと思われる。そして,原子間結合に最も密接に関与しているのは一般にそれぞれの原子の最外側の軌道を回転している電子である。
 イオン結合による分子形成の例としては,高温蒸気中におけるNaClの形成が良く知られている。Naはその最外側の3s軌道における1個の電子を失うことによって,Na+となり,貴ガスの1種であるネオンの原子構造に近づくことができる。他方,Clはその最外側の3p軌道にl個の電子をもらうことによって,Cl-となり,貴ガスの1種であるアルゴンの原子構造に近づくことができる。このようにしてできたNa+とCl-はその間に働くクーロン引力(coulomb's force)によって結合して,NaClが形成される。このクーロン引力に関連して,ポーリング(Linus Pauling)らによって導入された電気陰性度(electronegativity)が知られている。このような分子を構成する原子の相互の問の電気陰性度の差が大きい程,それらの間のイオン結合は強くなる。
 NaClのように極性の強い原子より構成されている分子は極性分子(polar molecule)とよばれる。多くの塩類はこれに属する。これに対して,極性の弱い原子より構成されている分子も自然界には多数存在している。寧ろこのような分子が多く,これらは無極性分子(non-polar molecule)とよばれる。それでは,このような無極性分子を構成する原子はどのような力あるいは形式によって,相互に結合しているのであろうか。
 この問に対して,1916年リュイス(Gilbert Newton Lewis)が無極性結合の理論を提出した。これは無極性分子の中の原子相互の問の結合が原子間において2個の電子を共有することによって,両原子が貴ガスに近い原子構造を形成しようとする性質に由来するというものである。そして,この種の結合の力あるいは形式は共有結合(covalent bond)あるいは電子対結合(electron pair bond)とよばれるようになり,その後,量子論の発展と平行して,ハイトラー(Walter Heitler),ロンドン(Fritz London),ポーリング(Linus Pauling)さらにその他の人々の研究によって定量的理論として発展した。
 例えば水素分子(H2)は2個の水素原子(H)より成る。この水素原子はl個の陽子と1個の電子を有する。そして,その1s軌道は互に逆方向の2本の軌道より成るので,その1本は電子によって充たされていないことになる。そこで,2個の水素原子がそれぞれ1個の電子を出し合って,さらに,それらの出し合った2個の電子すなわち電子対(electron pair)を共有し合うならば,この水素分子中のそれぞれの原子は貴ガス元素のヘリウム(He)構造に近づくことができる。そして,これらの2個の電子は互いに逆方向のスピンを有し,しかも,それらがその位置を交換することによって,すなわち,状態1(HA↑ ↓HB)と状態2(HA↓ ↑HB)とが互いに共鳴することによって,結合のエネルギーを生ずる。この結合力は交換力(exchange force)とよばれる。
 この共有結合によって形成された水素分子の中の原子核問距離は平均して,0.74Åであり,その振動における振幅は室温で大凡1Åの数百分の一である。この共有結合による原子問結合の力は可成り強く,水素分子中の原子問結合を切るためのエネルギーは,458.1 KJ・mol-1と計算されている。従って,2個の水素原子が結合して,水素分子が形成される場合には,同量のエネルギーが放出されることになる。
 これらの原子間結合の定量的理論の進め方として,2種類の基本的な方法が知られている。その一つは分子の単位はあくまでも原子であるとして,その分子構造を個々の原子の作用あるいは原子間相互作用から理解しようとする原子価結合法(valence bond method)と,もう一つは分子内の原子の枠を越えて,分子を一つの単位として,その分子中における複数の裸の原子核と全ての電子の間の相互作用から,分子構造を理解しようとする分子軌道法(molecular orbital method)である。これらの方法を用いて,分子内における原子間結合の定量的埋論の研究が進められてきた。
 それではここで生物体を構成する元素の中で最も重要な元素の一っとされている炭素(C)を含む分子について考えてみることにする。炭素原子の基底状態における電子配列を見ると,その原子核を中心として,電子は1s軌道に2個,2s軌道に2個,2p軌道に2個存在しており,その最外側の2p軌道に存在している2個の電子のみが不対電子(unpained electron)とすると,共有原子価は2価となり,原子価角は90°になることが予想される。ところが実際にはそれに対応するメチレン(CH2)は大変不安定な分子であり,良く知られている如く,メタン(CH4)のような炭素が4価の共有原子価を有すると考えた場合の化合物が安定であり,しかもメタンの原子価角は190°27′の正四面体角をなしており,実験値と良く合う。そこでポーリングらは混成軌道(hybrid orbital)の概念を導入することによって,この問題を解決しようとした。すなわち,2s軌道と2p軌道のエネルギー準位がほぼ等しいので,炭素原子の2s軌道の中の対をなしている2個の電子のうちの1個の電子が容易に励起されて,2p軌道の中の空の軌道に移る。そうすると2s軌道に1個,2p軌道に3個の合計4個の不対電子を生じ,その共有原子価は4価となる。この4個の電子軌道は混成され,再編成されて,性質の等しい軌道すなわち混成軌道を作る。そして,メタン(CH4)分子の場合は,それらの混成軌道関数が正四面体の中心に存在する炭素原子から正門面体の各頂点に位置する4個の水素原子に向って分布し,メタンの分子構造を良く説明できる。
 また,エチレン(C24)やベンゼン(C66)のような二重結合を有する炭素化合物の場合は2s軌道の1電子が2p軌道に移った状態において,2s軌道の1個の不対電子と2p軌道の2個の不対電子が混成され,3個の混成軌道を作り,普通の単結合すなわちα型結合を形成する。それらの共有結合角は120°である。他方,残った2p軌道の1個の不対電子は別の軌道を作り,π型結合を形成する。そして,2個の炭素原子の問は1個のσ型結合と1個のπ型結合により,2重結合を形成する。共役二重結合を有する鎖状炭化水素や芳香族炭化水素における共鳴(resonance)の現象はこのπ電子が分子中を移動することによるものである。ポーリングらはこの共鳴理論を用いて,多くの分子の構造や安定性の説明を試みた。
 さらに,アセチレン(C22)のような三重結合を有する炭素化合物の場合は炭素原子の4個の不対電子のうちの2s軌道の1個の電子と2p軌道の1個の電子の合計2個の電子が2個の混成軌道を作り,σ型結合を形成し,H−C−C−Hの如く,直線状に結合する。他方,残りの2p軌道の2個の不対電子は別の2個の軌道を作り,2個のπ型結合を形成する。そして,アセチレンの2個の炭索原子の問は1個のα型結合と2個のπ型結合によって,三重結合を形成する。一般にπ型結合の場合はその電子密度がC−C軸に対して,非対称的に分布しているため,二重結合および三重結合の場合は自由回転が障害される。
 共有結合の一種に配位結合(coordinate bond)とよばれる原子問結合の形式がある。これはl個の原子の中の非結合電子対(non-bonding electron pair,unshared electron pair)が他の原子に与えられ,それを与えた原子と与えられた原子が共有することによって形成される結合である。これは共有結合であるとともに,イオン結合の性格を帯びている。そして,この非結合電子対は孤立電子対(lone electron pair,lone pair)ともよばれ,そのままでは,化学結合に直接関与していない電子対である。
 例えば配位結合の例として〔Co(NH363+のような錯体について考えてみると,先ず,窒素原子(N)の原子価電子の配列においては,2p軌道に不対電子(unpaired electron)が3個存在し,共有原子価が3価として反応し,これに3個の水素原子(H)が普通の共有結合をすると,NH3を生ずる。この窒素原子(N)には,その他に2s軌道に1個の電子対(electron pair)が存在するが,この2s軌道の電子対はまだその化学結合に直接関与していないので,非結合電子対である。他方,裸のコバルトイオン(Co3+)はその電子配置のM殻およびN殻の電子軌道において,正八面体の頂点の方向を向く6個の混成軌道を作ることができる。この6個の混成軌道に6個のNH3から6対の非結合電子対を供与され,配位結合が形成される。錯体の中心となる原子に配位結合している原子または原子団は配位子(ligand)とよばれる。
 〔Co(NH363+の場合はCoが中心原子であり,6個のNH3が配位子である。このような配位結合は金属元素を含む複雑な無機化合物において,広く分布するが,金属元素を含まない化合物においても認められている。また,配位結合の定量的,理論的研究は原子価結合法(valence bond method)あるいは配位子場理論(ligand field theory)によって進められている。
 次の水素結合(hydrogen bond)は共有結合とイオン結合の両方の性質を有し,水素原子(H)が電気陰性度の大きい2個の原子または原子団から強く両方に引張られて,水素原子があたかもそれらの原子または原子団を結びつける2価の原子価を有する原子のように働いている。しかし本来,水素原子は1s軌道に1個の不対電子を有するだけであるので,他の2個の原子と共有結合を作ることは不可能である。そこで,水素結合の一方は共有結合で他方はイオン結合を形成していると考えられ,X――H+……Y-の如く記載される。これはXとの問に共有結合を形成し,Yとの問にイオン結合を形成していることを示している。そして,H+とYとの間の結合エネルギーは通常の共有結合のエネルギーに比して小さく,その多くは室温においても形成され,また,切断される。
 この水素結合は生体高分子化合物である蛋白質や核酸などの立体構造の形成に重要な働きをしている。蛋白質の立体構造は二次構造,三次構造および四次構造に分類されるが,ここでは,それらの中で特に二次構造について述べることにする。蛋白質を構成するポリペプチド鎖は−CH(R1)−CO−NH−CH(R2)−の繰り返し構造を有する。この構造の中の−CO−NH−の結合はペプチド結合とよばれ,これが水素結合に関与する。蛋白質の二次構造においては,特に,α−ヘリックス構造(α-helix structure),β−シート構造(β-sheet structure)あるいはランダムコイル(random coil)などがよく知られている。これらの蛋白質の二次構造は主としてポーリングらによって研究された。多くの天然蛋白質はそのアミノ基末端からカルポキシル基末端の方向に向かって進行する右巻きらせん構造を有する。これがα−ヘリックス構造であるが,この構造においては,1本のポリペプチド鎖の中の一つのぺプチド結合がそれより4個先または3個先のペプチド結合との問に−N−H…0−の水素結合を形成している。この水素結合はほぼ直線状に結ばれており,NとOとの間の距離すなわちこの水素結合の長さは約2.8Åである。また,このらせん構造の1回転は大凡0.54nmの軸長を有し,3.6個のアミノ酸残基から成っている。
 他方,β−シート構造は互いに隣接している別々のポリペプチド鎖のペプチド結合同志が−N−H…0−の水素結合によって結ばれるために形成されるもので,ポリペプチド鎖の中の側鎖同志の接触を最小にするために,ひだ紙のような立体構造をしている。そこで,この構造はひだ紙構造(pleated sheet structure)ともよばれる。また,ランダムコイルにも水素結合が存在している。さらに蛋白質の三次構造や四次構造の形成にも水素結合が関与している。勿論,これらの立体構造の形成には,水素結合の他にも,疎水性結合(hydrophobic bond)やイオン結合および一部には共有結合も貢献している。
 水素結合は核酸の立体構造の形成にも関与している。核酸はデオキシリボ核酸(DNA)とリボ核酸(RNA)の2種類に大別されるが,その中のDNAは一般に2本のポリヌクレオチド鎖によるらせん構造すなわちワトソン(James D. Watson)とクリック(Francis H. C. Crick)による二重らせん構造(double helix structure)を有する。この二重のらせん構造を形成する2本のポリヌクレオチド鎖は互に逆方向に走り,さらに互に水素結合によって結ばれている。その水素結合は2本のポリヌクレオチド鎖に含まれる2個の塩基すなわち塩基対の間において形成されており,それらの塩基対はアデニン−チミンおよびグアニン−シトシンである。そして,前者には2個,後者には3個の水素結合が形成されている。また,RNAにおいても,水素結合がその部分的な立体構造の形成に関与している。
 今回は主として分子の形成における化学結合の力あるいは形式について,少々くどく述べたけれども,それはただこの宇宙を構成している物質が厳密な物理的法則あるいは科学的法則の下に存在し,見事なエネルギー的均衡を保持していることを示し度いと思ったからである。なお,化学の領域に量子論を導入して,化学結合論を発展させ,近代化学の父の一人として多くの科学者に慕われたポーリング教授は実は私の恩師でもある。私事で恐縮であるが,私は1957年6月より,1959年9月まで,2年3ヶ月間,カリフォルニア工科大学において,先生の御指導をいただいた。先生はいろいろな意味において,本当にスケールの大きい科学者であった。1954年にノーベル化学賞を受賞し,さらに,1963年には単独でノーベル平和賞を受賞した。残念ながら1994年8月,前立腺がんによって,93才で亡くなられた。私は1992年3月に長崎大学を定年退官したが,その少し前に,この定年退官をお伝えし,これまでの長年にわたる御指導を感謝する旨の御手紙を先生に差し上げたところ,折返し,先生より御返事をいただいた。それは簡潔な手紙であったが,その中には,私どもの研究業績を過分に称えて下さるとともに,今後とも科学の発展のために貢献するようにとの力強い激励の内容であった。この手紙は早速私の退官記念研究業績目録の巻頭に掲載させていただいた。後で知らされたことであるが,先生はその時すでに体の不調を訴えておられたらしい。しかし,そのようなことは少しも感じさせないような御手紙の内容であった。先生の偉大さを改めて思い知らされたような気がした。先生の御冥福を心からお祈り申し上げ度い。
 次回は私達の地球の起原とその進化について述べる予定である。


佐世保市医師会報第71号(平成8年 陽春)より平成9年8月25日転載
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